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洋菓子店絶賛の卵をつくる『北川鶏園』を立て直した、北川さんのがむしゃら営業!

養鶏農家の先輩から、熱いメッセージ!

NPO法人『農家のこせがれネットワーク』は、
先輩農家の経験を都会で働くこせがれや新規就農した若手農家に伝える活動も実施。
そんな活動を、AXUプログラムで応援しませんか?


実家の養鶏が倒産の危機。がむしゃら営業で活路を。

産卵開始後1年以内の若鶏
白身のコシが強いのは、ニワトリが若いから。産卵開始後1年以内の若鶏の卵しか出荷しない。「父の代からその方法。けれど、そういう卵の価値が“どこで光るか"を知りませんでした。教えてくれたのが市原市の洋菓子店の店主。感謝しています」と北川さん。

千葉県袖ケ浦市の養鶏農家に生まれた北川貴基さんは、子どもの頃から家の仕事が嫌いだった。「養鶏は臭いが発生するので集落から離れた場所で営まざるを得ず、そのせいでいじめられたり」と振り返る北川さん。長男だが家業を継ぐ気はなく、大学卒業後は一般企業に勤めたいと就職活動を始めた。ただ、その原動力は「養鶏の仕事を継ぎたくない」という反抗心だけ。「そんなんでいいのか?」と自問した北川さんは就職活動をやめ、アメリカでの農業研修に参加した。
「人生から逃げていました」と話す北川さんだが、その研修で人生が変わった。「オレゴン州のリンゴ農家で研修したのですが、農場主の『世界の食料をつくるのは俺たちだ』という強い誇りに感銘を受けました。格好よかったですね」。
 1日12時間、週6日。農場で働くメキシコ人たちに収穫の指示を与えるのも北川さんの仕事だった。ただ、言葉が通じない。指示が遅れると罵声が飛んだ。「彼らは歩合制なのでできるだけ多く収穫したい。もたもたしているとリンゴを投げつけられました」。
 2年後、帰国した北川さんは将来について考えた。「絶対に継ぐものかと嫌っていた養鶏なのに、『やってみようかな』と。その思いが浮かんだ自分に驚きました。アメリカで、生きる度胸がついたのでしょうか」と北川さん。24歳だった。

烏骨鶏
烏骨鶏の卵もつくっている。

ところが、親元で養鶏を始めて1年後、大得意の販売店から突然、取引の停止を言い渡された。バブル
景気が弾け、卵の安値競争が始まったのだ。「売り上げの半分を失う深刻な事態。『ちょっと待って!』と叫んだ父の顔を覚えています」。

フィリピンから来た研修生
フィリピンから来た研修生がエサを与えたり、卵を採ったり、黙々と作業を行っていた。

せっかく就農したのに倒産の危機。家業を救おうと、北川さんは“がむしゃら営業"を始めた。ただ、営業は未経験。県内の飲食店に片っ端から飛び込むが、門前払いの連戦連敗。卵の値段を下げなければ無理かと悩みながら、市原市にある一軒の洋菓子店の扉を叩いた。店主は、北川さんの話を笑顔で聞いてくれた。聞き終えると、「来月から入れてほしい」と。驚いた北川さんは「どうして?」と尋ねた。すると、「白身のコシが強いから」。聞けば、白身にコシがあるほど強いメレンゲができ、スポンジに空気が多く含まれ、ふっくらと焼け、台数も多く取れるとか。「いい卵です」と店主は言った。
 その言葉に自信を得た北川さんは、営業先を洋菓子店に絞った。千葉県の菓子業界で知らない人はいない有名店・Oさんの店でも使ってもらえることに。以後、「白身のコシが強い」「Oさんも」の二言で取引成立の確率はグンと上がった。がむしゃら営業の努力の結果、今、北川さんの卵を使う洋菓子店は200軒を超えている


読み物

高知が生んだ植物分類学の父。牧野富太郎のアートな植物愛

「ボルネオ」傷ついた森の直し方。

新潟、薬膳ツーリズムを体験する。

南米アマゾンの多様性。「緑のジャングルと赤い魚

原生が残る照葉樹林を歩く。「綾の森」へ。

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火の国のお米を巡る旅。


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